2009-07

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26.いざ、アンダルシアへ!

  かくて2ヵ月余におよぶロングステイも終わることとなるが、既に書いたとおり、最後にYさんとアンダルシアへドライブする楽しみが残されていた。

  これまでのロングステイでも、できるだけスペインの各地を旅したいと考えていたが、初回の時は腰痛手術のリハビリ中でもあり、またその勇気もなかったので、ごく近くの街、例えばムルシア、カルタヘナなどを電車で訪問することが精一杯であった。

  もっとも、そのときにマリアさんやYさんと知り合ってから彼らの車でバレンシアやカルペなどに連れて行って貰ったのは、大変ありがたかった。また、帰国間際には、Yさんの車でアラルコンのパラドールに一泊二日のドライブをして、帰りにはベルモンテに立ち寄った。

  6ヵ月間のロングステイではあったが、初めてのことでもあり、言葉が通じなくとも全く退屈することもなく大いに楽しむことができた。なんと言ってもマリアさんやYさんという友達を得たことが一番大きかったのだ。

  二年後の2回目は、ふたりの友達のお蔭でアリカンテの夏のリゾート地・サンフアン浜にピソを借りて貰い、2月から5月までの三月間を過ごし、やはりYさんの車でグアダレストからカルペまでドライブした。

  私たち夫婦だけでは、バスでバレンシアの火祭り見物や電車でデーニアの見学に行ったが、それだけでは暇を持て余し、スペインのツアーに初めて申し込んだ。ツアーといっても、目的地までの往復交通手段とホテルの宿泊のみが予約されるものだ。

  行く先はカナリア諸島のテネリーフェ島で6泊7日のツアーである。往復の航空機とホテルまでのバスとホテル(二食付き)がセットになったツアーを旅行代理店に申し込んだ。ホテルは数多くの候補の中から選択できた。
思い出のテネリーフェ島
  さらに一年後の3回目は再びエルチェで、ピソはマリアさんの世話で今回と同じピソであった。この年は酷暑の夏であったので、退屈さよりも暑さを凌ぐことに大変で、涼しい観光地へのバスツアーを申し込んだ。

  7月にはクエンカ方面の高原へ、8月には北のガリシア地方へバスツアーに出かけて大いに楽しんだ。これは見知らぬスペイン人の客と一緒のバス旅行であり、大いに不安もあったが、結構楽しめてスペイン暮らしの自信に繋がった。

  そして、その二年後の4回目は、初心に帰って自力のロングステイを模索して、前回のツアーで訪問したガリシアのビーゴを目指した。やはり住まい探しに苦労をしたが、その近郊に何とかピソを確保することができた。

  ビーゴからはサンチアゴ・デ・コンポステーラやポルトガルとの国境の町アグアルダなどの観光に出かけたほか、アリカンテに飛んで、マリアさんやYさんと再会し、帰りはまたもやYさんの車でエストレマドゥーラ地方を抜けて、ポルトガルを縦断してビーゴに戻る6泊7日のドライブを楽しんだ。

  そして今回はロングステイの締めくくりに、アンダルシアへドライブすることとした経緯は、既に書いたとおりであった。
  マリアさんとのお別れ食事会が終わった日は、Yさんのピソに泊まり、翌日の朝9時にガソリンを満タンにした車でアリカンテを出発し、グラナダ南方のシエラ・ネバダに向かったのである。(終り)

  年ごとに行く先かえて旅をする
         想い出づくりは別れのためか


  スペインに己が力で始めたる
        暮らしといえど友ありてこそ


  「5回目のロングステイ」編はこれで終り、「アンダルシアへのドライブ旅行」は、別のブログにUPしましたので、トップページへ戻ってご覧ください。(4月3日同時UP)
思い出の「クエンカ高原バスツアー」でガイドの説明
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25.鮨店「三井」での別れ

  その日帰ってから、鮨店「三井」のメニューを妻と二人でじっくりと検討した。メニューには鮨だけでも種類が多く、その他天麩羅、すきやき、しゃぶしゃぶ、やきそば、うどんなど和食なら何でもあり、の感じだ。本当にこんなに豊富な食材を用意しているのか。

  それに値段はやはりかなり高い。円換算すればべらぼうに高く感じられる。"FUNAMORI"(舟盛り)は、握り鮨16貫で28ユーロ(約4500円)だ。先日メニューを貰った時、スペインの親子が食べているのを見たが、一貫の大きさが真に小さかった。これでは腹いっぱい食べるのは無理だろう、と妻に話す。

  それでも一度体験しておこうと決心して、試食に行った。実は、マリアさんやYさんとの最後のお別れの食事会をここでしようと思ったからである。ふたりともエルチェに鮨店があるとは知らないだろうし、鮨など滅多に食べる機会がないだろうから、きっと驚きかつ喜んでくれるに違いない。
味噌汁
  鮨の味見は、鮨好きの妻に任せて、私は安い定食を注文した。焼き飯と野菜天麩羅とサラダだけ。妻は握り(4個)と海苔巻き(6個)のセットに味噌汁。鮨はあまりにも小さすぎて腹の足しにならないので、焼きソバを追加した。全部で26ユーロだった。

  おっとりとしてにこやかな奥さんに訊くと、スペインに来て10年余になるが、これまではマラガやマルベーリャのレストランで働いてきたという。鮨の作り方はマルベーリャの和食店で覚えたというが、鮨は手で握ったものではなく、型に押し込んで作ったものと思われた。


  いよいよロングステイが終りを迎えて、エルチェを去る日の昼食にマリアさんとYさんを招待した。その夜はYさんのピソに泊めてもらい、翌日に彼の車でアンダルシアへのドライブ旅行に出る予定であったし、マリアさんにはピソの明け渡しの確認と鍵の引渡しを依頼する用件があって、エルチェに来ることになっていた。

  ふたりをびっくりさせようと思って鮨店に行くことは内緒にしていたが、出かける時に初めて、行く先が赤十字社の近くであることだけは告げた。すると、マリアさんが「お鮨屋さん?!」と言った。「なんだ、知ってるの!」とこちらがびっくり、がっくりした。
こんなメニュも
  マリアさんの長女はエルチェに住んでおり、その鮨屋に行ったことを聞かされていたのだと言った。「でも、私は行ったことがない。」とマリアさんが言うと、和食に飢えているYさんが「とても楽しみですね!」と大いに喜んでくれた。

  4人で舟盛りを食べ、味噌汁を飲み、さらに追加でお好みの鮨を食べ、最後に焼きソバも追加したが、メニューを見たマリアさんはかなり遠慮したように思われた。Yさんは元来が食が細いので不足ではなかったかもしれない。

  こうして、お別れの食事会も終り、一旦ピソに戻り、私たちの荷物をすべてYさんの車に積み込み、アリカンテに向かった。マリアさんのピソ近くで彼女を降ろし、私たちはスーパーへ行き、その夜の夕食の食材を買ってから、Yさんのピソに向かった。

  逞しき華僑の姿見る思い
       太った女のすし屋のおかみ

  ふるさとを偲ぶよすがと試食する
         遠きにありて思うにしかず


「三井」店頭に飾られた日本製の鮨メニュー
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24.エルチェの中の日本文化

  日本文化などと書くと、少し大げさかもしれないが、エルチェの街中に日本のものを見つけたのは、最初のロングステイであった。それは、第一回のロングステイ報告に書いたとおり、「柔道教室」と「盆栽」であった。

  今回のロングステイで初めて見つけたものは、"KUMON"と"KOI"と"SUSHI"の三つ、すなわち、「公文」と「鯉」と「鮨」である。この5年の間に少しずつではあるが、日本文化も受け入れられているらしい。
公文教室
  一番最初に見たのが「公文」。住み始めてすぐメインの大通りを歩いていて、あの空色地にKUMONと書かれた看板を見たときは、驚いて大声で妻に知らせたものだった。その後何回も看板の下を通ったが、夏休みのせいか(日本と違って)生徒の出入りは見なかった。

  次に見たのは、「鯉」である。日陰を求めて裏通りに曲がり角のショーウィンドウを覗いてみた時だ。すぐ鯉だとは思ったが、まさかという気持ちもあった。しかし、ウィンドウに接して紙箱が置かれていて、そこに"KOI"の文字が見えた。餌のようだった。

  大きな水槽の中に大きな鯉が二匹悠然と泳いでいた。その手前には、幅1mくらいの陶器(?)の池があって、周囲が竹筒で囲ってあり、池の中の筒から水が薄い膜となって広がり落ちる噴水のような仕掛けがなされていた。

  うまく和風の雰囲気を醸し出している。店の中に入って写真を撮らせてもらったが、果たしてスペインで商売になるのだろうか、と気がかりだった。あるいは、店主の趣味に重点が置かれているのか?鯉の餌など
  最後が「鮨」である。ある日、老人クラブへ行こうとして、日陰の道を辿っている時、前方に"SUSHI"の看板を見つけた。そこは、メインのバス通りが一方通行となるために反対方向用のバス通りとなっていて、人通りは極端に少ない通りであった。

  近年ヨーロッパでも日本の鮨に人気が集まり、パリなどの大都市では鮨屋が増えているとは聞いていたし、マドリードにもあるのは知っていたが、まさかエルチェにまで店ができていようとは・・・!?
  もっとも3年前にアリカンテに立ち寄った時に、Yさんから中国人の鮨店ができたことは聞いていた。「いや〜あ、しかし、高くて、あまり美味しくはないですよ。」ともYさんは言っていた。

  その看板には、"SUSHI"の文字の他、"MITSUI"・「三井」という店名が書かれていたが、日本字の「井」の縦の一本がエルチェの世界遺産ナツメヤシを図案化したロゴとなっていた。

  その日はまだ開店前だったので、後日ふたりで偵察に出かけた。予想通り、中国人夫婦が経営する店であったが、40歳くらいの奥さんは中国人には珍しく太って、それが返って好印象を与えた。メニューだけ貰って帰った。

  水槽に狭き暮らしを強いられし
        鯉のめおとか 強くながく生きよ


  空を飛び海をわたりてスペインを
        おそうニッポン 「鮨」・「鯉」・「公文」
水槽で泳ぐ鯉
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23.ガスボンベの交換

  最初にも書いたが、台所のガスボンベには十分と思われるガスが残っていたので大いに安心していたが、ロングステイの終わる10日前に使い切ってしまい、交換する必要に迫られた。予備のボンベも備えられていたので、5年前の経験を活かして交換した。

  しかし、コンロのスイッチを捻ってもガスが出てこない。何度やってもガスの出る音がしないし、火も付かない。ボンベを持ち上げてみると、間違いなくガスが入っている重さだ。空っぽではない。大いに焦った。

  ボンベには、コンロから伸びたホースの先にある結合器を押し込んで繋ぐ軸受け器(?)があるが、試しにその結合器を上から押し付けているとガスが出はじめた。どうやら、ボンベの軸受け器が故障しているようだ?・・・となれば、このボンベは使い物にならない。

  新しいボンベを買う必要があるが、言葉が話せない人にはこれが結構な難題なのだ。幸い、空のボンベがひとつあったものの、それと交換して貰うにも(スペイン語で)電話して配達を待たねばならない。これも厄介だった。

  今回の入居時に、マリアさんから最近はガスボンベの交換が街のガソリンスタンドでも可能になったと聞いたことを思い出した。確かにガソリンスタンドの奥にあの特徴的なオレンジ色のガスボンベが置かれているのを見ている。

  幸いなことに、ガソリンスタンドまでは200m程の距離だ。空のボンベを持っていき、新しいボンベに交換して貰った(13ユーロ)。とても重くて運べないので、恥ずかしかったけれど、台所用の台車に載せてビニールロープで道路上を引っ張りながら持ち帰った。

  こんなに苦労して新しいボンベに取り替えたにも関わらず、ガスは出なかった。ただ、結合器を上から押さえて付けておくと、ガスは出るのだ。接触が悪いのか?といって台所で煮炊きが終わるまでずっと押さえつけている訳にもいかない。
洗濯機の横に予備のボンベ
  そこで知恵を絞った。緩みなく結合器を押さえつけておくためには、強いゴム紐が必要だが、そんなものは無かった。思いついたのは、私の使えなくなったケイタイ電話の充電器に付いたコードだった。これには電線に螺旋状のゴムが巻き付けられていた。

  それをボンベの取っ手に結びつけ、結合器の上を通して反対側の取っ手に固く結びつけた。それを3、4回繰り返してしっかりと固定すると、ガスがスムーズに出るようになった。

  ピソを出る間際になって、こんな不恰好な措置のまま放置しておくわけにもいかないと考えた時、ふとあの「ご近所さん」のことを思い出して相談して見る気になった。固定していた電線を全てはずしておいてから、下の奥さんのピソに向かった。

  出てきた奥さんは愛想がよかった。私がただ単にガスボンベの交換方法が判らないと言っただけで、すぐ行くからと言って一旦奥に引っ込んだ。待つほどもなく現れた奥さんは、「今食事中だったの。」といって少し照れたようにミニのワンピースの裾に目をやった。

  台所にくると、結合器をボンベの軸受けに合わせると結合器の下部の円周部分に手を当てた。腰を入れてぐいと押し下げると、ぴったりと接着した。「あっ!思い出した。」私は思わず声をあげた。奥さんは私を見てにっこり笑った。

  私はこの、かなり強い力で押し込むやり方を忘れていたのだ。仕方なく、「私は力がないから・・・」と言い繕った。奥さんは右腕を曲げて力こぶを作りにやりと笑って頷いた。

  貸しありと意気高らかにベルを押す
           ご近所さんの力を借りに


  老いてきて記憶おとろえちからなく
         ほれぼれと見る女の力こぶ


ボンベとの結合器に電線を巻きつけた
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22.スペインおばさん

 翌日もその翌日も訪問者はなく、何事もなく過ぎた。三日目にはもうすっかりそのことは忘れてしまっていた。午前中買い物に出て、昼近くピソの見えるところまで戻ってきたとき、私たちの部屋の上の、屋上で工事する人の姿が見えた。

  その日の夕方5時頃に居間の外壁あたりで何か物が当たる音がするので、覗いてみると窓の左右の側壁に屋上から配管がぶら下がっており、どうやら下の部屋でクーラーの取り付け工事中らしいと判った。

  そのうちに入り口のブザーが鳴ったので、穴から覗くと工具を持った若い男の姿が見える。昼間だから大丈夫だろうと思って、ドアを開けた。覗き穴からは死角になっている場所に背の低い太った女も立っていた。40代の典型的なスペインおばさんの体形だ。

  奥さんが説明する言葉や仕種などから、用件は理解できた。要は工事の一部をこの部屋からやらせて欲しい、ということのようだ。OKすると、奥さんは勝手知ったるわが家(?)とばかり工事人を居間の窓際へと連れて行った。
普段は半閉のシャッター(居間)
  工事は屋上の室外機から5階のピソのクーラーまでの配管を途中で固定するためのものであった。工事人が6階のわがピソの居間の窓から上半身を乗り出すようにして、側壁にドリルで穴を開けて留め金を差込み、配管を固定した。

  その間、私と奥さんは居間で立ち話をしたのだが、そこで初めて先夜の訪問者が真下に住む、この奥さんであることが判った。「いや〜あ、それは申し訳ないことをした。」と素直に謝った。

  すかさず妻が「あの時私たちは寝ようとしていたので・・・。夜10時は寝る時間なのよ。」と身振り手振りで弁解した。奥さんは「私たちには食事が始まる時間ね。」と笑いながら信じられないという態度であった。しかし、なかなか愛嬌のある人だった。

  突然、居間の入り口にスーツを着た中年紳士が姿を現した。奥さんが、夫だと説明した。心配になって開いているドアから入ってきたものらしい。この奥さんには似つかわしくないスマートなインテリに見えた。彼は安心したように挨拶だけしてすぐに帰っていった。

  翌日、中庭側の窓から下を覗き込んでいた妻が、「やはりあのご主人は、インテリなんだわ!」と私に呼びかけた。「ほら、あの部屋を見てよ。本棚に本が一杯並んでるわ!きっとあの旦那の部屋だよ。」と感心している。

  私たちのピソのスペースは鍵型に曲がっているので、中庭側の窓からは直角に曲がった部屋の中が見える。通常はカーテンやブラインドで目隠しされているが、その時は目隠しがなく見通せた。

  大体、スペイン人のピソに本棚があった験しがないというのが、私たちの数少ない体験での結論であった。読書人口はとても少ないのではなかろうか?偏見かもしれないが・・・。

  このインテリ男の奥さんとはこの後もう一度接触する機会があった。今度は私の方から彼女のピソのブザーを鳴らしたのだったが・・・・。

  スペインで初めて会話すご近所さん
         また会いたしと後ひく愛嬌


  スマートなインテリ夫と愛嬌妻
        どこにもいるよ 似てない夫婦


傘立てと買物カートが置かれた入り口
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